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家族は一つの生命(いのち)(2017/6/11)

 
 
 

 
 
 
 
 小学校や中学校の幼なじみの同級生の訃報をたびたび耳にする年齢となりました。これはとても淋しいものです。
 
『法句経』の第十八章にこんな一節があります。
 
 
「汝はいまや枯葉のようなものである。閻魔(えんま)王の従卒もまた汝に近づいた。汝はいま死出の門路に立っている。しかし汝には旅の資糧(かて)さえも存在しない。
 だから、自己のよりどころをつくれ。すみやかに努めよ。賢明であれ。汚れをはらい、罪過(つみとが)がなければ、天の尊い処に至るであろう」
 
 
 いままで何気なく読み過ごしていたこの文言もズシリと重いものを胸に感じます。
 
 
「旅の資糧(かて)」とは何を意味するのでしょう?
 
   表面的には旅費と食糧のことですがあの世への旅に、お金や食べものが通用する筈がありません。そんなことは以前から良くわかっていたことです。では、何を指すのかあなたもご一緒に考えてみませんか?
 
 『修証義』に説かれている善悪の業というのがそれです。
 
 善業とは、この世に生きている中の「善き行い、善き言葉づかい、善き心の意(おも)い」です。この三つが、あの世へ旅立つときの大切なものとしてリュックに背負う訳です。
 
 尚、経典には書いてはありませんが、善悪の報い(つまり善業・悪業)は、自分だけでなく、子孫にも及ぶような気がしてなりません。ですから子どもや孫の幸せを思うなら、悪いことはしない、善きことは努めて行うというのが人間の正しい生き方なのです。
 
 
 家族というのは、身体は別々でも大きな目で見れば「一つの生命(いのち)」なのかも知れません。業に関する教えはとても難しいのですが、生きていくのに不可欠の課題です。