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間口9間、奥行8間の本瓦葺き、寄棟造り。
平成20年遠野市社寺工舎(匠・菊池恭ニ氏)により主に屋根を改修。
奈良東大寺金堂の屋根をイメージし設計された。
 
内部は欅造りの重厚な感じの建築で明治17年の再建。
本尊仏の釈迦牟尼仏、脇仏に文殊、普賢菩薩を祀る。
 
ちなみに当山伽藍は天保6年、文久元年、明治元年と三度の祝融(火災)に遭っている。
 
 

 
開山禅師、歴住大和尚の御真像、御真牌を祀る。
原 坦山の筆による「聯芳堂」の額を掲ぐ。
 
明治17年の再建。
 

 

  
新井石禅禅師の御真像、霊骨(分骨)真牌・亡御両親の遺影・その他遺品を祀る。
 
昭和54年建立。

 

 

 
昭和49年新築の位牌堂。
 
御朱印地を賜った当山は、徳川家康・二代秀忠・三代家光・四代家継各公の葵の御紋のついた霊牌を祀っている。
 
開基家を中心に、全檀信徒の祠堂殿である。
 
現在、年回供養・法事といったご法要を行ったり、万霊供養で開催されている婦人会主催のバザー会場として利用されている。
 
 

 
鉄筋木造による入母屋造り、瓦葺き・一部銅板葺き。
206畳敷の大広間を中心に講堂・台所などの研修道場(研修場所)があり、集会(禅を聞く会、仏典を読む会など)やご法要(万霊供養「大般若祈祷会及び山門大施食会」、葬儀、ご法事)など檀信徒布教教化のために使用されている。
 
因みに「参玄」とは『参同契』の「謹んで参玄の人にもうす、光陰虚しく度ることなかれ」(*1)による。平成8年新築。
 
(*1) 「参玄」の意訳としては、「参」は学び修行すること。「玄」は大宇宙の真理、釈尊のみ教え、禅の悟り。つまり「み仏の教えを深く学び、自ら実践し、有意義で楽しい集いの場としましょう!」という意。  
 

 
206畳敷の大広間は研修道場の中心的な存在。
 
床の間両脇の襖絵は幕末~明治時代の南画大家 秋 嶽英の作品である。
 
 
 

 
文字通り経典、祖録を講義するお堂である。
現在は主に法要控室として用いている。
 
平成8年再建。
 
 

 
「参玄閣」の台所。
近代的な設備を誇り、観音講のご婦人方の協力で数百人もの精進料理をつくることも可能。
 
韋駄天様をお祀りして修行に励む。
 
 
 

 
大正9年建立の設賓。
 
大本山總持寺貫首として故郷に錦を飾った新井石禅禅師を迎えての大授戒会の折の戒師寮であった。
 

 
正面に地蔵菩薩、右に閻魔大王、左に奪衣婆を祀る土蔵造りで、文久2年再建。
 
温質順故居士、実応妙貞大姉夫妻による一基寄進。

 
伊達秩父(準秩父)観音霊場の第一番札所。
 
準提観世音を祀る。
 
家内安全、身体壮健の御利益の霊験あらたかな観音さまとして篤い信仰を集めている。
 
文久3年の再建。

 
水子地蔵尊を祀る。
幼きみ魂の冥福を祈る人々の香華が絶えることはない。
 
昭和50年の新築。

 
開基家の霊廟。
 
中央に大炊介長義公、右に相模守満親公、左に側室お菊の方の石碑が建っている。
開基の戒名「興國寺殿徳翁浄慶大居士」により浄慶廟と名づく。
 
平成8年5月新築。

 
竜頭から清らかな井戸水が吹き出している。
参詣の前に手を洗い、口をすすぎ、清らかな身と心でお詣りしましょう。
 
昭和44年7月新築。
 

 
約6坪半の面積の墓地内に、縦・横6尺、高さ7尺の白みかげ石積み、そして青森ヒバの銅板葺による納骨堂。
 
納骨堂の中にはアルミニウム製の納骨壇が設けられている。
 
当山住職が施主様に代わり、亡き人のご遺骨をお預かりし、代々、ご供養をとり行っている。
 
平成14年新築。

 
嘉永2年(1849)の再建。
梵鐘は老雲水・筏舟和尚(新潟県観音寺)が1人で数年間托鉢した浄財で再鋳した。
 
遠島甚句の「尾浦御殿の梵鐘つけば、伊達の梁川想い出す・・・」は、この梵鐘に因む「秀念お糸」の悲恋物語であると伝わる。

 
興國寺廿二世如禅大和尚の得度を受け出家(幼名石井仙次郎)、大本山総持寺独住第五世貫首。
勅賜号は大陽真鑑禅師。
昭和2年遷化。
学徳兼備の名僧として日本仏教界を代表する人物であられた。
 
銅像は昭和19年供出されたが、禅師の五十回忌を機縁に、昭和54年4月に再建された。
銅像の大きさは9尺(約270cm)。

 
2階に『大蔵経』を始め膨大な数量の経典祖録が収納されている。
 
文政12年(1829)の再建。

 
当寺開山丘堂遵虎大和尚の四百回遠忌、先住(二十六世温嶽悦淳大和尚)の五十回忌ご供養のため、岩手県遠野市「社寺工舎」(現代の名工・菊池恭二氏設立)により、平成18年再建される。

文久元年(1861)の梁川大火によって類焼した旧山門(樓門)にかけてあった「同塵関(どうじんかん)」の扁額が化粧なおしをして、145年ぶりに新山門に掲げられた。

 
昭和49年、渡辺喜一氏が亡父喜平翁(英徳院)の冥福を祈って建立された。